2010年4月9日金曜日
「なぜ」をみつける。
興味深いニュース。
ストロー・じか?…給食紙パック牛乳飲み方論争
給食で配られる紙パックの牛乳、みなさんはどのようにして飲んでいましたか?
僕らの時代はテトラパックと呼ばれる三角形のパックでしたので、そのパックに貼付けられていたストローで飲むことが必然でした。
現在はパック牛乳でも、できるだけゴミを減らそうということで、業者からはストローを付けない状態で出荷され、別にストローを配っているそうです。
記事にある兵庫県姫路市の市立小学校では、68校のうち56校でストローを注文しておらず、児童にはパックにじかに口をつけて飲むように指導していたそうです。ある校長先生は「環境保護につながると思い、現場で疑問を感じなかった。」と話しています。
今回の問題は、一部の保護者から改善を要望されたのが発端で、主に「マナーが悪い」という観点だそうです。
さて、みなさんはこの問題をどう感じたのでしょうか?
エコの一環として、
子どもたちにゴミを減らす教育をすることも正しい。
マナーの問題として、
子どもたちにお行儀のよい飲み方を教育することも正しい。
そうです、どちらの言い分も間違っていないのです。
ここでデザインを志すみなさんに考えてほしいことは、どちらが正しいのかという意見を持つだけではなく、「なぜ」を考えるという部分が大切です。
「なぜ」じか飲みは行儀が悪いと感じるのか? というように。
1リットルのパックをじか飲みすることは、それは行儀が悪いかも知れません。 では、ペットボトルのじか飲みは行儀が悪いのか? 缶のじか飲みは行儀が悪いのか? 「マナー」が食育なら、「モッタイナイ」を実行する食育はないのか? もっと言えば「モッタイナイ」ができないのは行儀が悪くないのか?
果して、行儀が悪いと感じられる境界はどこにあるのでしょうか?
その疑問の先には、デザインを志すみなさんなら、
「じかに飲んでも行儀が悪くみえない紙パック」を考案する、
という考えに至るのも面白いと思います。
その解決策を考えるのがデザインの役割なのかも知れませんね。
どんなデザインも、その時代に、人々の生活における「なぜ」を「どう」解決できるのかが求められているのです。
日常の「なぜ」をみつけることが、デザインの第一歩なのです。
(し)